女は星の数ほどいるって星の数なめんな

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今日は3月11日で東日本大震災が起きた日ですね。地震が起きた時、僕は中学校で掃除していました。目眩にも似た揺れが起きている中で女の子が「きゃー」と抱きついてきたことを今でも覚えています。その子は今、インスタで彼氏との日々を世界に発信しています。

 

この言動からもお分かりのように僕はSNSに向いてないです。Facebook、インスタ、Twitterなどなどその人の生活のキラキラした部分だけを見ることになり、自分の現状と対比し無意味に悲しみ虚無感に包まれていく。最初は自分の考えていることとか発信できたらいいと思ってTwitterをしてみたけれども、結局していい話といけない話があって制限もある。陰毛の話ぐらいさせろ。それから承認欲求が大きくなってく気がしたよね。承認欲求なんて邪魔でいらないものよ。目指すは自己実現からの自己超越だからね。

 

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さあ、飛ぶわよ!

 

そう考えるとこのブログはどうなのかってなるけど、このブログは思考の整理だからセーフってことで。あとブログを書こうとする事で無駄にグルグルと考えなくて済むようになったかなと思う。

 

話を戻して、僕がSNSに向いてないのは幸せを相対的に考えてしまっているからだと思うんですよ。本当は絶対的幸せを感じれるといいんですけどね。ここでいう絶対的幸せとは他人に左右されず自分が幸せだと思えれば幸せって事ですね。貧しかったりしても今の生活に満足しているし誰がなんと言おうと私は幸せだ、って感じですね。最近、『俺の持論』(テレビ朝日系)という番組でジョイマンの高木さんが似たような事言ってましたね。現状に満足するという意味ではいいとは言い切れない部分もありますが、他人の価値観を気にしないという意味では絶対的幸せはいいものだと思います。

これに対して相対的幸せは他人と比べてしまい、他人次第で自分が幸せになったり不幸に感じてしまうって事ですね。例えば、アフリカの貧しい子供達は食べ物もないことと比べると日本人は大体幸せですけど、その辺の金持ちが豪勢にしてるのを見ると不幸に感じるみたいな感じです。この例だと幸せの尺度はお金みたいですが、他の例だとウェイは大学生活の中で女の子と海に行ったりするのに僕の大学生活は何なんだみたいな。

相対的不幸せから奮起して現状を打開しようとかなればいいけど大概は無気力になったり諦めてしまうものです。さらに、相対的幸せな考えしかできないと上には上がいるからずっと不幸なんですよね。

色々書いた割には着地点が曖昧なんですけど、他人のSNSを見てもなんとも思わないような自分の幸せを探そうって事ですね、はい。

 

長くなったのでそろそろ終わるんですけど、あと2点だけ。

今回出てきた満足って言葉に関する好きな言葉があったのでそのうちそれについて書きたいと思ってます。まあ、どんな言葉か忘れたのでいつになるかわからないんですけど。

2つ目は、前回の頑張るが好きじゃないって理由をもう一つ。頑張るとだけいうと具体的な解決策とか方向性とかが有耶無耶になって根性論みたいになるのが嫌なんですね。

 

以上です。

長かったのにここまで読んでいただきありがとうございます。